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金井遺跡群の甲を着た古墳人とその人骨とは?火砕流から発掘された場所【世界ふしぎ発見】

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こんにちは。管理人のchobizoです。

いつもサイトへのご訪問、ありがとうござい

ます。

 

金井遺跡群(金井東裏遺跡かないひがしう

らいせき金井下新田遺跡かないしもしん

でん)を取り上げます。

 

TBS系【世界ふしぎ発見】で2020年8月1日

に放送される番組宣伝の動画です。ぜひご覧

ください。

 

この記事では、金井遺跡群(金井東裏遺跡)

の甲を着た古墳人と、金井遺跡群(金井下新

田遺跡)の人骨、そして金井遺跡群の火砕流

から発掘された場所をご紹介いたします。

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1. 金井遺跡群(金井東裏遺跡)の甲を着た古墳人

出典元:https://twitter.com/

 

2012年に榛名山(はるなさん)のふもと金井

東裏遺跡で『甲を着た古墳人』が発掘されまし

た。

火山噴火の火砕流の犠牲者で1500年前の6世

紀の古墳人と判明しました。

 

このことが大きな話題となります。

発掘された甲を着た古墳人』は40代の男性

とされています。

 

甲は小札(小さな鉄の板)が1800枚で、冑

(かぶと)や鹿の角の小札、そして銀と鹿

角で装飾された矛(ほこ)も発見されてい

ます。実用的な武器ではなく、権力・象徴

的なモノと考えられています。

 

『甲を着た古墳人』の特徴は、榛名山に向か

ってうつぶせで倒れています。山の神への祈

りなのか?戦う意志なのか?

 

『甲を着た古墳人』は権力・象徴的なモノを

持つため、村の長などの権力のある人と考え

られています。

 

渋川市埋蔵文化財センターで『甲を着た古墳

人』や井東裏遺跡発掘調査状況レプリカなど

の発掘調査状況を写真でも展示しています。

 

源家の宝刀・鬼切丸の歴史を記事でご紹介し

ています。

 

2. 金井遺跡群(金井下新田遺跡)の人骨

出典元:https://www.sankei.com/

 

2017年に榛名山(はるなさん)のふもと金井

下新田遺跡で、首飾りを付けた10代の人骨

発見されています。女性の可能性が高いです。

首飾りの人骨は金井東裏遺跡でも発見されて

います。これで2例目となります。この首飾り

で女性と考えられています。

 

しかし、勾玉(まがたま)を含んだ首飾り

初です勾玉は祭祀など特別なときに使われ

るモノなので高貴な人と考えられています。

 

祭祀遺構が複数発見されています。金井下新

田遺跡が地域首長の拠点と考えられています

 

金井下新田遺跡も火砕流で、平地式建物が破

壊され炭化した状態で発見されています。

金井東裏遺跡と同様の1500年前の6世紀の古

墳人と認識されています。

 

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3. 金井遺跡群の火砕流から発掘された場所

出典元:https://www.facebook.com/

 

金井遺跡群は群馬県渋川市にあります。

 

金井東裏遺跡と金井下新田遺跡はすぐ隣です

ので、同じように榛名山の火山噴火の火砕流

で壊滅的な被害があったと考えられます。

 

榛名山は2度の噴火をしていると言われてい

ます。1度めは6世紀初めです。大きな被害で

『甲を着た古墳人』と『首飾りの古墳人』は

この1度目の噴火で被災したと分かっていま

す。

 

2度目は1度目の噴火から30~40年経過後の6

世紀中ごろで、人が戻り馬を飼い復興の兆し

が見えた頃です。軽石が金井周辺に2mも降り

積もったものです。

 

1500年ほど、全く私たちの知らない存在でし

た。

 

まとめ

金井遺跡群(金井東裏遺跡・金井下新田遺跡)

について情報を集めました。

 

いかがだったでしょうか。

 

この記事では、金井遺跡群(金井東裏遺跡)

の甲を着た古墳人と、金井遺跡群(金井下新

田遺跡)の人骨、そして金井遺跡群の火砕流

から発掘された場所をご紹介いたしました。

 

次回の記事もお楽しみに!

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