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【世界の何だコレミステリー】
では、八甲田雪中行軍遭難事件が
取り上げられるそうです。
時代は明治時代で日露戦争前
らしい…。
今回は以下の内容をご紹介いたします。
- 八甲田山遭難事件(兵士199名死亡)の生き残り・生存者のその後は?【世界の何だコレミステリー】
詳細情報をお届けいたします。
もくじ
1. 八甲田山遭難事件(兵士199名死亡)の生き残り・生存者のその後は?【世界の何だコレミステリー】
【世界の何だコレミステリー】
では、八甲田雪中行軍遭難事件が
取り上げられるそうです。
明治35年(1902年)1月の
日露戦争が起きる前に、
冬季寒冷地での戦いに向けた
訓練として、
青森県の八甲田山にて、
雪中行軍の演習が行われた
と情報が確認できます。
その理由は
日清戦争で日本陸軍が寒い
土地での戦いに苦戦をした
からだそうです。
訓練に参加した数は210名と
情報が残されています。
雪中行軍の演習は
最初は穏やかな天候であったと
情報が確認できます。
しかし、
その後天候が悪化したそうです。
結果的に199人の兵士が凍えて
亡くなる事件と情報が確認でき
ます。
その雪中行軍で生き延びた
人物は11名の以下の方々と情報が
確認できます。
- 倉石一大尉(山形)
- 伊藤格明中尉(山形)
- 長谷川貞三特務曹長(秋田)
- 後藤房之助伍長(宮城)
- 小原忠三郎伍長(岩手)
- 及川平助伍長(岩手)
- 村松文哉伍長(宮城)
- 阿部卯吉一等卒(岩手)
- 後藤惣助一等卒(岩手)
- 山本徳次郎一等卒(青森)
- 阿部寿松一等卒(岩手)
また、
救出されたのですが、
お亡くなりになった方々は
以下と確認できます。
- 山口鋠少佐
- 三浦武雄伍長
- 高橋房治伍長
- 紺野市次郎二等卒
- 佐々木正教二等卒
- 小野寺佐平二等卒
雪中行軍の生存者である
後藤房之助伍長に関しては
酷い状態で発見されたそう
です。
後藤房之助伍長は銅像にも
なった人物なんだそうです。
後藤房之助伍長が発見された
情報は以下と情報が確認できます↓
ほとんどの兵士は倒れるか道
を誤り、
総指揮官の神成文吉歩兵大尉
と2人だけの行軍となった。
神成が倒れた後は、
大尉の命を受け前後不覚と
なりながらも単身で行軍を
続けていた。
1月27日午前10時ごろ、
青森県青森市大滝平付近で
凍死寸前のところを救助隊に
発見され、行軍隊の遭難事故
が発覚した。
発見時の情況については
諸説あるが、「遭難始末」では
仮死状態で佇立しているところ
に救命措置を施され、
11分後に蘇生したとされている。
また、
そこから西方約100メートルの
場所では凍死した神成大尉が
発見されている。
後藤房之助伍長は両手・両足を
切断したという情報がある
ようです。
事件の生存者である
後藤房之助伍長の銅像が
創られた時は、
照れくさかったそうです。
また、
後藤房之助伍長は、
八甲田雪中行軍遭難事件の後の
1902年9月にご結婚をした
そうです。
そんな
後藤房之助伍長は、
乗馬が好きで、お酒も飲んでいた
そうです。
そして、
後藤房之助伍長の息子さんは
後藤真一さんでインパール作戦
に参加した人物であるそうです。
2021年8月頃の情報では
107歳で後藤真一さんはご存命と
情報が確認できます。
事件で
話題になったことを
記事でご紹介しています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
【世界の何だコレミステリー】
では、八甲田雪中行軍遭難事件が
取り上げられるそうです。
この記事では以下の内容をご紹介いたしました。
- 八甲田山遭難事件(兵士199名死亡)の生き残り・生存者のその後は?【世界の何だコレミステリー】
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