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【ナニコレ珍百景】で
『茨城県土浦市で7年前に仕事をやめ
手描き新聞を続ける49歳』として
矢口祥(あき)子さんが出演するようですね。
今回は以下の内容をご紹介いたします。
- 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞とは?
- 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞を始めて仕事を辞めた理由とは?
詳細情報をお届けいたします。
もくじ
1. 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞とは?
出典元:https://www.sankei.com/
『かえるかわる子』として、手書きの新聞を
描くのは矢口祥(あき)子さんと情報があり
ます。
手描きと言われているので、アナログで
新聞を作成して、芸術的な評価を得ている
ようですね。
『24回岡本太郎現代芸術賞』に入選した
と情報があります。描いた新聞は、地元
の茨城県土浦市を愛している作品である
そうです。
出典元:https://www.facebook.com/
かなりユニークですよね。
手描き度が満点であり、何となく
昭和を感じますよね。
出典元:https://www.facebook.com/
ユニークな矢口祥子さんが描いた
『矢口新聞』はFacebookで沢山観れる
ようです。
このアカウントもユニークですよね。
矢口祥子さんは上手い下手を考えずに
勢いでギャーと描くらしいです。
矢口祥子さんを知らない人は、
『小学生が描いたみたい』と感じるそう
です。
新聞第1号は、2015年4月12日であった
そうです。
A4用紙でボールペンと色鉛筆で描く
矢口祥子さんの世界は人気を集めている
そうです。
月に4枚ほど描き、個展を開く回数も増えた
そうです。直近14回までの『矢口新聞個展』
を確認できています。
出典元:https://www.facebook.com/
出典元:https://www.facebook.com/
第24回岡本太郎現代芸術賞展は上画像で
あるそうです。
展示するには見やすくするため、
A4からA3に大きさを変えることもある
そうです。
2. 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞を始めて仕事を辞めた理由とは?
出典元:https://www.sankei.com/
矢口祥子さんが会社を辞めて、『矢口新聞』
を始めた理由は、東日本大震災がきっかけ
であったそうです。
東日本大震災(2011年3月11日)の発生時、
矢口祥子さんは意外にも、ネット中毒で
あったそうです。
携帯・パソコン・テレビに依存した生活を
していたらしい…。
元OLでパソコン作業を仕事でしていた
らしいです。
東日本大震災をきっかけに、当たり前だと
考えていたガス・電気・水を当たり前に
思っていたことに、被災者の方々に申し訳
ない気持ちになったらしいです。
東日本大震災の3年後あたりで、生活
スタイルをアナログに変えたらしい。
車、テレビ、電子レンジはなくして
パソコンもスマホも手放したと情報
があります。
夏は扇風機で、冬はこたつと湯たんぽの
生活であると情報が出ています。
矢口祥子さんは近況報告で『矢口新聞』を
用いたらしいです。
しかし、時代的にスマホ必須の時代に変化
しているので、後々はスマホを持つことが
考えられます。
安全な生活や情報を集めるのにスマホは
最低限必要かと考えられます。
2021年7月17日時点では、Facebookには
矢口祥子さんの知人が投稿しているの
だろうか?
オーストラリア人の
クール・ドナルドさんは妻との結婚・
出産から、富山県南砺市で会社を
立ち上げたそうです。
ヨーロッパやオーストラリアで
活躍した著名な革職人!
還暦を超えているように見えないが…。
まとめ
いかがだったでしょうか。
OLをしてネット依存であった矢口祥子さん
は東日本大震災で、アナログ生活を始めた
そうです。
茨城県土浦市で『矢口新聞』で近況報告を
したのが『矢口新聞』の始まりらしいです。
この記事では以下の内容をご紹介いたしました。
- 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞とは?
- 矢口祥(あき)子さん(茨城県土浦)の手書き新聞を始めて仕事を辞めた理由とは?
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